2009年6月 6日 (土)

『ウィリアム・メレル・ヴォーリズ-1』

 ウィリアム・メレル・ヴォーリズは元々、宣教師として来日したのだが日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家であり、メンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家でもあるという、多才な人である

学生の時は知らなかったのだが、家族が縁があり、その後何件かは見学した。先日の新日曜美術館でも紹介されたが、松下ミュージアムでも展覧会があり遅ればせながら観に行ってきたconfident

何れ、ヴォーリズ建築については書いてみたいと思う。

2009年4月12日 (日)

『居心地よい空間』

 朝刊に「象設計集団」の富田玲子さんの記事が掲載されていたbook

 (編集中)

2009年2月25日 (水)

『今和次郎先生』

 先月の夕刊から・・

今先生は建築学科の教授だったが、生活や風俗のありさまを生態学や考古学の手法に倣って調査・考察する、「考現学」という学問を創始したことで知られている。

ぼくは先生の描いたスケッチや野帳(フィールドノート)が好きで、以前展覧会に行ったときは、食い入るように観たものだconfident  現代のようにパソコン、インターネットが無い時代に膨大な量の調査をしてまとめている。 絵やイラストを描くことが目的ではないのだが、沢山のノートとそこに描かれた文字やスケッチには生き生きとした味わいがあるconfident 

2009年2月15日 (日)

『農家の土間』

 農家の入口を入るとほの暗い中に広い土間の拡がりが見える。夏でもひんやりとした涼しさを感じさせるところもある。 土間は入口、炊事に使われるほか、農作業や藁打ち、縄綯いなどの手仕事も行われた。そしてそれに必要な道具類の置場として、また米や味噌などの食料の調整や貯蔵の場所として使用されている。     このように一応生活全てが賄える設備があって、大昔の土間だけの住まいの伝統を今に引き継いでいると言えるconfident

 水の豊かな水田地帯の土間は、しっとりとした湿りがあり、美しく整頓されている。元々は履物はすべて外で脱ぎ、土間では上履きの藁草履を用いていた。 土間の床は山土に石灰とにがりを加えて叩き固めたもので、寝所以上にきれいに掃き清められている。

 土間のかまどには荒神様やかまど神、ながしには水神様、えびす、大黒をはじめ、もろもろの神の座がある。  正規に信仰する神棚や仏壇は座敷にあるが、その他の土俗的な信仰の対象はすべて、土間に鎮座している。人々は土間に対して一種の神聖な思いを抱いていたのが興味深いことであるconfident

 

2009年2月 1日 (日)

『かまど』

 かまどはいろりとは別で、鍋を支える石から発達して、粘土や石で周囲を囲って風を除け、火の粉が散らぬよう焔が正しく鍋底に集中して、少ない燃料で効率がよいように工夫された。 弥生時代からあったそうだが、釜にも鍔をつけてすっぽりとかまどにはめ込み、火力を逃がさぬようにされた。

 もともとは屋外にあったかまどは、漸次屋内の土間に取り入れられた。燃料の乏しい平野の農家では、藁や松葉のような火力の弱いものでも、用が足せるように改良されていった。 「へっつい」「くど」とも呼ばれ、近畿地方で見られるものは、勾玉形の平面で漆喰で磨かれ美しいconfident  

 子供の頃、親の実家(中部地方)に行くとかまどはまだ使われていて、少し薄暗い土間と黒ずんだ梁が見え、かまどから炊き上がるにおいと煙が何ともいえない味わいを醸し出し、今も深い郷愁を感じるのである(゚ー゚)

2009年1月18日 (日)

『いろり…2』

いろりの意味するところは、人の居所、あるいは火処(ひどころ)を表す。ここでは炊事、乾燥、採暖、照明のほかに行事や儀式も行われていた。いろりの火を建築以来絶やしたことがない里もあるように、火種を保存する大切な場所であった。

 いろりのある部屋は「じょい」(常居)「茶の間」「だいどこ」「いどこ」などと呼ばれる集まり部屋、今で言うダイニングキッチンにあたる食事と団欒、近隣との交際にも使われる広間である。

 座席の位置も決まっていたそうだconfident  上座は主人の席で、座敷を背にして土間に向って座る。家人、雇い人を監督し、家畜の動静にも目の届き易い位置である。畳かござが横にしかれるので「横座」と呼ばれた。  客人を入口近い下座に据えるのは現代の作法とは違うが、主人は家屋敷の守護神の司祭である伝習である。自分の親でさえ隠居すれば譲らず、横に並べて座らす。

 第二位の席は奥の勝手に近い場所で、戸口のほうに向って座る主婦の座。北側になることが多いので「北座」ともいわれる。 そしてこの座には、祖母や娘も並んで座る。   食事の給仕をする場所なので、食(け)にちなんで、「けざ」「けどこ「けんざ」「けぐらざ」など多くの呼び名があるdelicious  農家の主婦は夫ともに重要な農事を行い、食物の配分など家事の主宰者なので、座は低くなかったのである。

 第三位は外来の「客座」。客がいないときは家長以外の男の席なので「男座」ともいわれる。また「北座」に対して「南座」「向こう座」などともいう。 そして横座と向かい合った土間際の席が「下座」「木尻」の名で呼ばれる末席で、雇い人、出入のものの席である。また、若い嫁や子供、猫もここにすわるので「嫁座敷」「こいど」「猫の間」ともいうcoldsweats01

 いろりの座は、封建的な上下関係や主従制度からつくりあげられている家の秩序であった。  が、日常生活にとっても合理的な位置づけでもある。 現代の生活で標準的に配置されるキッチン、ダイニング、リビングについて一考する意味があるのではないだろうか。

2009年1月 8日 (木)

『いろり…1』

 寒い時期なので、火の使われ方について、、。

屋外で火を用いる場合、細い木の枝の先端をくくり合わせて三脚をつくり、それに鍋を吊るす方法と、石を置いてその上に鍋をすえる方法がある。 いろりは前者の方法で、かまどは後者が発達したものと考えられるconfident

 土座住まいの地床を掘りく凹めて、周囲を玉石で縁取った火処をつくり、年中火が赤々と燃えて、調理だけでなく、採暖、照明、乾燥などと、特に北国では人々の生活はすべてがこの炉が中心であった。

 一方、南国では戸外生活が多いので、家は就寝と休息のためのみ必要であった。また、虫や獣害を防ぐため、高床で風通しをよくし、床は竹のスノコとしていたので、屋内に火を持ち込むのは困難でもあったcoldsweats01 勿論、気候的にも採暖の必要がなかったので、煮炊きの場所は戸外だった。

 つまり、「いろり」は北方の寒冷地に多く、「かまど」は南方の温暖地に多くて、屋外の調理目的に限られていたといえる。

2008年12月29日 (月)

『間取りの発展』

 原始住居は形や床の高さは風土によって様々だが、世界中いずれも単室住居であるhouseそして、就寝が第一の「ねぐらずまい」だ。  わが国では竪穴住居が、作業土間と居住床座の二つの部分からなる、「一室住居」に進展したらしいconfident

 一室住居とはいっても、道具置場、作業場、炊事場、寝所など、一定の住まい勝手が自然発生的に生じていった。 この使い勝手が間仕切りの発生を促し、用途別の部屋を生むことになる。  さらに、文化の向上によって色々の生活要素が持ち込まれて、一室では住居の機能は果たせなくなるcoldsweats01

 住居機能の内で最も重要なものは就寝である。虫や獣の害、外敵の進入を防ぎ、防寒やプライバシーを確保しないと安眠が出来ないcoldsweats02  そのために、寝室を分離する必要があったが、その間仕切りの発生は、一室住居の就寝部分に袖壁や屏風のようなものが出来て発展したらしい。

2008年12月13日 (土)

『雨戸、蔀戸、格子』

 民家の「雨戸」は開口部上下に取り付ける敷鴨居に溝を彫って、すべらせて開閉していた。梁の下には柱があるので、開口の単位も古くは1間、その後2間に広がり、障子も4枚建てになった。  また、濡縁は室内に取り込まれた縁側となり、雨戸は縁の外側につくようになった。 現在、和室を作る場合は、障子、外側に硝子戸、さらにその外側に雨戸を引くというように進歩してきた。

 町の商家や宿場の旅籠屋は家の前面の全てを開ける必要から、「蔀戸」(今で言うシャッターのようなもの)が用いられた。 ただ、初期のものはかなり重かったので、上下を2枚に分けて、上半分は外に突き上げ、下半分は取外す「半蔀」が発達したそうだconfident さらに、上半分は二つ折りに畳み込むような進歩もしている。

 「格子」もまた、古くは「隔子」と言い、町家や宿場の建物の表構えに多く用いられる。外と内を隔てる役目があったから、そう呼ばれたのである。 防犯だけでなく、視覚的には内からは外が良く見えて、外からは屋内が見え難い特性がある。 また、日ざしや風量の調節の役割もある。 夏は格子の内側に簾を吊り、冬は紙を貼って建具の代用にもなったようだ。  現在見られる「京格子」「千本格子」は繊細巧緻で美しい。

2008年12月 9日 (火)

『聴竹居』

 前回に引き続き、昭和初期のモダニズム住宅…今回は藤井厚二氏設計の「聴竹居」。 氏は20代の頃は、私が勤めていたゼネコンにおられたconfident

 この住宅はモダニズムと日本の数奇屋を融合させた直線的デザインで、かのブルーノ・タウトも桂離宮とともに訪れ、その造形に驚嘆したといわれる名建築である。  デザインのみならず、夏季の風の通り道、冬季の光の入り方、断熱性の配慮などに試作を重ねて造られている。 今で言う「環境共生住宅」といえるのであるhouse  設備面でも、水洗トイレ、電気温水器によるシャワー、電気冷蔵庫、各室のコンセントなど等、当時としては斬新であった。

 デザイン、環境工学、設備、どこから見ても住宅史に残る名作であるが、やはり修繕費がかかり、維持が大変なようである。 そういったことから最近、一般公開を始めたようだ。 ブルーノ・タウトにあやかり、桂離宮とともに見学に行きたいconfident

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